Squad Memo プレイヤーやクラブ関係のちょっとしたメモ
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---Ex-Rovers FW 過去の在籍者/FW---

17 Matt [Matthew] Brooke Jansen, Matty 20.Oct.'77 /Carlisle
FW マット・ヤンセン 180cm / L

ちまちましないフォームでシュートを決める、独特のシュート感覚の持ち主。見ていて楽しいゴールをあげる。


01/02シーズン、チーム最多得点をあげ、春先にイングランド代表に選ばれるも体調不良で参戦できず、あげくに'02/5末に休暇先のイタリアでスクーター事故(交差点でタクシーに接触)。頭部強打、脳内出血、 4日間の昏睡後、奇跡の復活を遂げた。事故前後の記憶喪失中。

「イタリアでの事故は何もかも僕が悪いんです。そんな僕を見捨てず、回復に尽力してくれたRoversには感謝の言葉もありません。このご恩は必ずお返しします。」とシーズン終了間際にコメント。
イタリア旅行を共にしていたLucyと婚約。(マンチェスター大学でスペイン語とイタリア語を専攻し奨学金で 留学していた才媛。ご家族熱烈なMan-Uサポーター)>'04年5月、めでたく結婚。
走っているときに肘が真直ぐなので「ドラえもん走行」と勝手に命名。
03/04(10)

「昨シーズンはファーストチームから声がかからなくて...Awayの時はうちのテレビで試合を見ては落ち込んでいたんだ。妻に「落ち込んでるの見たくない...あとで結果 だけ見てよ...」なんて言われてたんだよ」「(2軍戦では)結果を出していたんだけど 04/05シーズンスタートと同時にSounessに移籍申し込みが有れば受ける、と言われた。もう僕がRoversで試合をすることはないんだ、僕の最後のRoversでのプレイはすでに終わってしまったんだって思っていたよ。でもHughesが来て現状を話したら「わかった」って言って使ってくれたんだ。そしてそれに応えることができて本当に嬉しいよ。僕はRoversが好きで、これからもここでプレイしたいんだ。」(18.Sep.'04)

優秀なスコアラーで可愛くってものすごく性格が良い、というこの世のトッププロのフットボールプレイヤーとは思えないMatty。そしてあの事故。神様が焼きもち焼いたとしか思えない。事故後、なかなかトップフォームには戻れないMattyだが、Roversサポーターの一番のお気に入りストライカー。「There's only one Matt Jansen!!」はひときわ大きな声で歌われる。

「離れたく無いけど、プレイがしたいんだ」とお隣のBoltonへ移籍。
愛して止まなかったRoversサポーターから「ありがとう、忘れない」の大合唱。
移籍時のステートメントに皆感涙した。

MATT SAYS "THANKS" (Official)
Matt Jansen has issued a "thank-you" statement which reads:

"I have been moved by many of the comments I have read about my leaving Blackburn Rovers and want to take this opportunity to say "Thank You".

I didn't realise that doing what I love doing best had brought so much pleasure to so many Blackburn fans and I am overwhelmed at the generosity of your comments.

You have been fantastic fans and I am both proud and privileged to have played for you at Blackburn Rovers.

I will never forget the support you have given me over the years, particularly since my accident. It is probably true to say that without that support, I might have decided to hang my boots up a long time ago.

I accept that the main objective of the Manager is to win games and earn points and I can't and don't expect him to compromise in that objective. Mark must always field what he considers to be his best team.

However, I have to think about my own future. I have been fit all season and consider that my form in training has been good. But I need and want to play first team football and wish you all to know that this is the only reason I have decided to leave. I have thoroughly enjoyed my time at Rovers and am disappointed that it has now ended.

Rovers have a strong squad at the moment and are making a real impact under the stewardship of Mark Hughes and I very much hope that this success continues. With your support I think Mark and the team could record the Club's most successful season in recent years.

Finally, I would like to take this opportunity to thank Chairman John Williams, the Directors, Management and staff at Blackburn for their unwavering support - not forgetting my ex-team mates both past and present - but most of all, you the fans, for seven wonderful years and offer everyone my best wishes for the future.

Thank you all for the memories."

BRFC = 18.Jan.'99 - (£4.1m)
C-Palace <- Carlisle(Trainee)

9 Jonathan Stead, Jon , Stedinho 7.Apr.'83 /Huddersfield
FW ジョナサン・ステッド 190cm / R
身長はあるが、ヘッドより足技に優れたプレイヤー。
強引さは無いが、適格なポジションに走り出てチャンスを確実に決める。連係技を見せるタイプ。
04/05シーズンはポストに嫌われ、バー直撃...が続く。あまりにゴールが決まらずプレイが畏縮していたが、23試合振りに(10ヶ月ぶり)にゴールが決まり「肩の重荷が下りた」と笑顔に。

Div-3 Huddersfield townから4リーグぶっ飛ばし移籍。10歳から地元Huddersfieldのユースに所属。ここ2年でめきめきと頭角を表してきた。03/04シーズン18ゴールでDiv-3のスコアラー第2位 だった。

---02/03シーズンよりファーストチームでプレイしていたのをずっとモニターしていたRoversが移籍申し込み。テリアサイドは3度の入札を却下。移籍は頓挫したかに思われたが本人の強い希望もあり移籍の運びとなった。(中間業者・代理人のこずるい立ち回りにより、当初800kと言われていた移籍金が1.2mにまで高騰。この代理人にはSunderlandも振り回された。)
スカウトの推薦するSteadをSounessはプレイをビデオでしか見た事が無かったが契約を決断した。
彼の資質を見抜き育てたHuddersfieldのアカデミー(Gerry Murphy)に賛辞を!

「プレミアでプレイできるなんて本当に夢のようだ!グレードの違い過ぎるリーグでやってたから通 用しないんじゃないかと言われてるけど、自分の持てる力を出してみせます。」
いきなりスタメン、初ゴールが決勝点になる。そしてその4日後、またしてもスタメンで終了5分前に同点弾。一躍ヒーローになる。そしてその翌日イングランドU-21に招集される。とんでもない勢いで夢を驀進中。 「僕は自分に自信があるし、それをトップリーグで試してみたいんだ。浮かれて自分を見失ったりはしないよ。ここまでのところうまくやっているけど2ー3シーズンたってみないとわからないよね。」と慎ましやかなJon。
得点能力の高さはすでに証明されている。熱心で献身的なプレイ、またそれ以上に素晴らしい性格。どん欲にして謙虚。気取らず、慎み深く、分別 がある。(昨今、分別はトッププレイヤーには最重要な資質のひとつ)
インタビューの受け答えを聞いるとかなり聡明そうでもある。

--- 「プレミアでプレイできるなんて夢のようだ!ピッチに立てるよう頑張ります」>「HenryやNistelrooyと同じところに名前が書かれてるなんて夢みたいだ」>「新聞の見出しに僕の名前が出るなんて!調子が悪いとたたかれるんだよね?この調子を維持しなくちゃね」>「2試合で2ゴールなんて、これ以上の滑り出しは考えられないよ!」>「代表招集の手紙が来て、もう最高にわくわくしてるよ」と、この変化がたったの10日間。ホーム・デビュー戦では最高の記念品としてShearerにシャツを貰うのも忘れません。

試合終了後ドレッシングルームに戻るや否や愛するHuddersfieldの試合結果 を尋ねるのが有名。Huddersfieldのプレイオフにはもちろん駆けつけた。昇格決定後Huddersfieldの選手とともにピッチに立った。「このご時世、移籍して成功をつかむと自分を育ててくれたクラブに見向きもしない選手ばかりなのに、Steadの忠誠心は立派だ。誇るべきものだ。」とRovers側も賞賛。

10歳までは水泳に夢中な少年だったが、お母さんが再婚、フットボール狂の継父のLeeさんがJonがフットボールをしてないことに驚き、勧めたらしい。お継父さんに感謝!


クラブ支給のルノー・クリオに乗っていた青年はBMWに。
現在も両親と共にHuddersfieldに住んでいる。
が、トレーニンググラウンドの近所にお家を買いました。ガールフレンドと婚約もしたようです。
03/04(18)
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メダルで区切りがつきました。(LET)
今週末、彼は3-Divのプレイオフ優勝のメダルを受け取った。それはホームタウンでの日々のハッピーエンドを書き加えたようなものだと感じている。
Steadがミレニアムスタジアムでの勝利の記念品を受け取ったのは、Terriersがプレイオフに駒を進めた推進力だがプレイオフまでにクラブを去った7人のうちの1人だったからである。

「Huddersfield(Town FC)は僕のキャリアをスタートさせたホームタウンのクラブで、これからもずっと大切なもの。いつもガイダンスとアドバイスを与えてくれていたことに感謝している。だからプレイオフを勝ち上がったのは本当に興奮した。どんなときも彼らにはいい結果 を出して欲しいんだ。

でも、僕はBlackburnのプレイヤーで、プレミアでプレイするっていうのは100%の集中力、注意力を出さなくちゃいけないんだ。」
慢心することのないSteadはDickovの移籍でポジション争いが激しくなったと考えている。
「僕としては昨シーズンは(Roversで)いいスタートを切れたし、Huddersfieldも昇格できた。 でもそれはスタートでしかないと思ってる。もっとゴールを決める為にもっと熱心に学んで、それを続けなくちゃいけない。 メダルをもらった事でHuddersfieldに気持ちよく区切りをつける事ができた。もっとビルドアップして充実したシーズンにしたいんだ。」

Jon's homeward bound(The FA)7.Oct.'04 : インタビューのムービー
http://www.thefa.com/England/U21s/
NewsAndFeatures/Postings/2004/09/EngTV_JonStead_08Oct04.htm

まさかここまで絵に描いたような「2年目のジンクス」に陥るとは...。(Dec.'04)



見ている方の胸がつまるほど一生懸命にプレイしていたが、見事にポストにバーに嫌われた。パートナーにも恵まれない不運もあったため、彼だけの問題では無かったはず。なぜ手放したのか?悲しい。スパーキーが「すまない。彼は素晴らしい才能があり、この2ー3年でそれは証明されるだろう。どうしても選手獲得の資金が必要だった。本当に申し訳ないが彼に犠牲になってもらった。本当に申し訳ない。」とコメント発表。
しかもよりによってSunderland何が悲しくてSunderland... 彼のなかで気持ちを動かされる何かがあったのか、例のごとく代理人の策略なのか...Grayにたぶらかされたのか(Charltonにも望まれていたんだよ。当たり前に考えるとCharlton選ぶよな...)私服もスーツもオシャレだったのに...すんげえ適当な服で移籍契約記者会見...自暴自棄か?! Steちゃん!がんばれ!
Grayがいらんアドバイスとかしやがって。Steちゃん獲得するならGrayも引き取れよ!セット販売すべきだったね。

謙虚で誠実で、一生懸命な彼の事です。どこに行っても活躍できるでしょう。03/04シーズン後半の降格大脱出への大健闘は絶対に忘れません。04/05シーズンのような不運はもうこの先彼に起こりませんように!と心から願います。(13.Jun.'05)

Sanderland (1.8m/13..Jun,'05)<<BRFC = 1.Feb.'04 < Huddersfield Town - (Trainne)

(10) Paul Dickov, Dickie 1.Nov.'72 / Scotland
FW ポール・ディコフ、ディッキー 168cm / R

暴走ストライカー。
試合開始のホイッスルと同時にメーターが振り切れる。
尽きない体力で90分走り回る。フロントでのボールキープ力がある。強引に突っ込んでいくのも得意技。 身長の無さをボールコントロールと情熱でカバー。ただし、熱くなり過ぎるのが難点。
ピッチ内と外ではまるで別人のようになるところから「ジキルとハイド」と言われるほど。ピッチ外では非常に温和な気の良い人。


21世紀を迎えフットボールもどんどん進化している今、'70s〜'80sスタイルなストライカー...どう役に立つのか今のところ不明。 Souness曰く「若いもんの手本になる」どこをどう手本にするのか不明。
Man-C時代の自宅を手放していなかったので「こっちに戻れて嬉しい」そうだ。(事件ですっかり疲労困ぱいの)奥さんはカンブリア(ランカシャーの北)出身だそうである。
Leicester降格の引き金を引いた「大騒動」事件の1人。とにかく分別ある行動をよろしく。

とにかく骨身を惜しまずプレイをするので、移籍当初は懐疑的だったが「いいのかも」と思わされている。
ただ、あまりに闘争心むき出しで退場すれすれなのが怖い。
とにかく恐ろしいほどの「体力」で献身的にピッチを走り回る。手抜きはしない。

Man-U戦(28.Aug.'04)では気合い+技の素晴らしいゴールを決めた、が、気合いが行き過ぎて「喧嘩売ってる」になってしまうところが長所をかき消しがちな短所。Scotland代表で対戦(9.Oct.'04)したNorwayのHagenがズバリと「Dickovはフィジカルなプレイヤーだ、ちっちゃいけど。でも国際試合の経験が少なくないのにあんなにすぐ頭に血が上るなんてね、驚いたよ。だから僕にとってはやりやすかったね。」(...せっかくの闘争心が裏目に出て相手にイニシアチブ取られてどーするよ?)(11.Oct.'04)

気合い先行型のショートテンパーだと思っていたが、そうではなく、感情が行動に直結している子供のような性格なのだった。良く言えば正直で単純なタイプのようだ。だから嬉しい時や楽しい時はにこにこしちゃって止まらないって感じ。(Dec.'04)

初めて買った車は?「Mini」(実は最近になって自動車免許を取得。)
もしルールを変えてもいいなら?「ゴール・セレブレーションに対してカードは出さないようにする」
その無尽蔵な体力はどこから?「トレーニングをして家に帰ると子供が3人待っている。彼等は俺を放っておいてくれないからね。一緒にいるとトレーニングになるんだよ。楽しいトレーニングだよ。」

Leicester所属時などの詳細はFOX BOX(azu)さんサイトで読んでみて下さいませ!「あばよ」と書かれているDickovの画像をクリック。

BRFC = 7.Jun.'04 (£150k)
Arsenal>Luton,>Brighton,>Man City>Leicester

9 Shefki Kuqi
10.Nov.'76/Kosovo:Finland
FW シェフキー・クチ 188cm / R

雄牛のようなパワーで相手DFをぶっちぎる(ぶっ倒す)。
最前線でがっちり立ちはだかるポストプレイの軸。
足が早いわけでは無いが良いポジショニングに走り出せる。良いクロスを出す事もできる。


「Hughesと初めての会話は素晴らしかった。彼はコソボでもとても有名で人気のあるプレイヤーだ。Roversが僕に興味があると聞いた時は本当に嬉しかった。」
「 プレミアでプレイする事に不安は無い。代表でオランダやチェコと対戦したが、自分に問題があるとは感じなかった。ピッチの白線を超えれば相手が誰であるかは僕には気にならない。自身の最高のパフォーマンスをするだけだ。」

Ipswichは素晴らしいクラブだ。とても楽しいかった。でもプレミアで挑戦する時が自分に来たと思う。僕はIpswichのあらゆる成功を願っている。(Ipswichで04/05に20ゴール。ファンのプレイヤー・オブ・ザ・イヤーを受賞している)

Kosovo生まれ。12歳の時、母国の内戦激化で家族とともに着の身着のままでフィンランドに難民として移住。フィンランドのMikkeliに落ち着きHJK Helsinkiで選手としてスタート。
StockportのマネージャーAndy Kilnerが引き抜いた。(しばらくはKilner の自宅にホームステイしていた。) その後Seff Wedに移籍。しかしここで賞賛を得る事は出来なかった。そしてIpswichに移籍。成功を収める。しかし次なるステップを目指していたため更新を拒否。移籍が決まらなければビザが切れ、母国に戻れば徴兵に応じなくてはならないという状況だった。

Ipswich時代のスコアすると「飛ぶ」ゴールセレブレーションはプレミアでもやります、と移籍所信表明で言っていたが、約束を果 たす。「爆撃機同体着陸」と呼ばれている。

「あれで怪我しないの?とよく聞かれるけど怪我した事はない。怪我するならやめるよ。」 (2.Oct.'05)

BRFC =>>>2.5m Crystal Palace{Aug/'06)

(11) craig Bellamy
13.Jul.'79/Wales
FW クレイグ・ベラミー 175cm / R


言わずと知れた「超俊足」が持ち味のストライカー。カウンターから突っ込んで行く時のスピードたるや早い早い。対戦相手の普通 のオフサイドライン程度の防御はモノともせずいとも簡単に突破する。
反面、激し過ぎる気質が常に問題を引き起こすトラブルメーカーでもある。

Sounessと決裂後Celticへローン。Everton, Villa, Celticが獲得競争にしのぎを削った。Celticでのローンは成功を収めたがプレミアでプレイをする誘惑に勝る程ではなかった。
CL参戦権も無く移籍金l.6m、週給はl.50k近く、大金を用意できないRoversへの移籍は衝撃的だった。

Clayton Blackmoreの結婚式に同席したMark HughesがBellに話しかけ、彼の話を聞き、そして説得。結婚式で顔を合わせてから12時間後にはメディカルチェックを受けると言う急転直下の移籍決定だった。
--- (寝てたら「今Roversでメディカルチェック受けてるんだよね」って電話がかかってきてさ、あまりに急でビックリしてベッドから落ちそうになったよ!---とSavage)

とにもかくにもBellを追い払いたかったSouness("We will be a healthier club next season without Craig Bellamy.")の要請にクラブサイドが激安移籍金l.3.75mで合意。個人的にも週給を大幅減額およそl.30kで合意した。

移籍後のインタビュー「Newcastleでは本当に幸せだった。離れるのは辛かった。でも前進するときだったんだ。
俺はそんな破壊的悪影響ばかり引き起こす人間じゃない。俺は25歳だ、向上し進化し改善する事が出来ると思っている。

昨シーズン、俺は22ゴールした。それはいいシーズンだったと言えると思う。でも誰がそんなことを覚えてる?記憶されてるのは悪い事ばかりだ。(※事件簿下記参照)

Roversに移籍を決めたのは、もちろんMark Hughesがマネージャーだからだ。彼はインクレディブルだからね、そしてとても尊敬しているんだ。俺のことを19歳から知っていて、お互いに信頼している。バックルームのBowenとNiedzweckiも同様にお互いを良く知っていて信頼している。確かに俺は若い時にバカをやったと思う。一度つけられたレッテルをはがすのは容易じゃないのは解っている。自分を変えたいんだ。自分を改善しようとしている者にとって的確なアドバイスはとても重要なものだ。信頼感はとても大事な事なんだ、信頼しあっている人からそれを受けられる環境は俺にとってとても良いことだ。それに優秀なPhysioがいるのも魅力的だ。

Roversで自分の出来る限りの最高のパフォーマンスをしなくちゃいけないと思っている。そうしなくちゃいけないんだ。」
Newcastleのマネージャーに対するコメントを求められたが「何も言う事は無いよ。何も言わないよ。」とコメントを拒否

悪い事しかニュースにならない、と言われるがBellにもそれは当てはまる。
4年前、Indie Singhという重い腎臓病を患うNewcastleの熱心なサポーターのアジア人の少年と知りあった。そしてIndieが2度の腎臓移植手術をし入院している間、少なくとも週に1度はお見舞いに通 い、Villa戦で2ゴール決めた時のシャツをプレゼントしたり、ベッドの脇で一緒にプレイステーションをして過ごしていた。しかしIndieは2002年12月に腎不全を起こし亡くなった。Indieの両親は「Bellamyのあの気遣いが無ければ、息子はもっと早く命を失っていたと思う。息子の心の支えだった。あんなに紳士的な人はいない。」

CardiffのTrowbridgeで育つ。お母さんは家政婦、お父さんは鉄筋工の監督。学校では学業で目立つ生徒ではなかった。
最初にBellamyの才能に気がついたのは兄。父親に「学校でプレイするレベルじゃない」と進言。その後間もなくいくつかのクラブからオファーが届きBristolに所属した。 (もちろん父はCardiffに所属して欲しかったのだが)

そして16歳の誕生日にNorwichと契約。しかしNorfolkでの生活になかなか馴染めなかった。が、幼なじみガールフレンドのクレアとの間に17歳で息子(Ellis)が生まる。あまりの若さでの父親になる事で両親は心配したが、逆にBellamyは前向きに変化し、試合で結果 を出すようになっていった。


[Belleの事件簿]
Sep.'00
Walles代表戦Belarusに対しての暴力的プレイでレッドカード
(Walles代表でレッドカードを受けたのは5年ぶり)
Dec.'00
Arsenal戦で一発退場
Feb.'02
女子学生への暴力的行為により警察より警告を与えられる
Sep.'02
CL:Dynamo Kiev戦で頭突きにより3試合のヨーロッパ戦出場停止処分。
その後Inter Milan戦でも一発退場によりさらに3試合出場停止処分
Mar.'03
Boro戦にて審判を罵倒し処分を受ける。
Cardiffのナイトクラブでアジア人に人種差別攻撃をし訴えられるが、泥酔状態であったとのことでl.750の罰金で済む。
Sep.'03
ロンドンのホテルで17歳の女性への性的暴行で訴えられるもその嫌疑は晴れるが、そのホテルのバーで泥酔しその女性にl.50を投げつけ「これがおまえの週給だろう!」と言ったのは事実。
Mar.'04
Newcastle空港においてコーチのJohn Carverと口論の末、椅子を投げつける。
Oct.'04
Charlton戦において途中交代させられたとき、怒り狂う。
Dec.'04
マネージャーをF言葉で罵倒する。
またロンドンのホテルから乱痴気騒ぎでクラブに対して公式にクレームを付けられる。
Jan.'05
Arsenal戦でウインガーに配置に不満で怪我を装う。(本当に怪我をしていた、あいつは嘘をついた、嘘なんか言っていない嘘つきはあいつだ、と罵倒大会開始)

Sir Bobbyに「37年間のマネージャー経歴の中で最高に扱いにくいプレイヤーである。彼の問題を自分で解決できればヒーローになれるのに」と述べたのに対し「俺はもうヒーローなんだけど」とマスコミに答える。

'01年にCoventryから移籍直後「Rubbish club, rubbish supporters, rubbish stadium, rubbish city」とのたまう。

Celtic移籍後にBabayaro と BoumsongにNewcastleは「rubbish club」だと話す。

Celticのトレーニング施設が貧相だと不平を漏らす。


Sparky曰く「彼を獲得できて非常に嬉しい。過去の問題?評判の悪さは気にしない、心配もしていない。私が知っているのは彼が素晴らしいプレーヤーである、と言う事だ。Roversにとって彼のキャラクターは必要だ、助けになる。チャンスの邪魔になるどころか逆だ。」

BRFC =7.Jul.'05 : l.3.75m <<Newcastle Utd. >>Loverpool 6.5m

28 Jemal Johnson
3.May.'85/New Jersey(U.S.)American
FW ジェマル・ジョンソン 17-cm / R

アカデミー卒期待の新星のひとり。
小さい身体をスピードでカバー。



Dickovが大きく見えるほどちっちゃいんだ!そして、ぶんぶん、ぶんぶん良く動くんだ!04/05シーズンのReserve戦ではコンスタントにゴールを決めている。(Dec.'04)
めでたくファーストチームで背番号もらいました。(23.Dec.'04)

FA杯Colchester戦でファーストチーム初ゴール。

生まれと国籍はアメリカ。5歳の時にPrestonに引っ越してきた。15歳まではMan-Uのユースに所属。
「(Man-Uのユースを) 出なくちゃいけないときはちょっとショックだった。でも今、僕にはモデルとして目標にするプレイヤーがいる。Savageだ。彼は凄いプレイヤーだ。彼も同じようにMan-Uのユースだったけど、出た後に素晴らしいプレイヤーになって活躍している。」

---私が初めて見たときは選手ではなくブーツボーイとして雑務をこなしていたが、これまたちょこまか良く動く。ちっちゃいなー、こんなにちっちゃくてつぶされちゃったりしないかな〜なんてちょっと心配だったが、2軍戦でも徐々に頭角を表しているようで何よりだ!

BRFC = -.-.-. - (Trainee) >> Wolverhampton(Aug/'06) >>Wolves 150k

18 Corrado Grabbi, Ciccio 25.Jul.'75 /Italy
FW コッラード・チッチオ・グラッビ 181cm / R
01/02シーズン高額の移籍金でやってきたにも関らずイマイチ奮わず、馴染めず、家族の事もあり'02/1月にセリエBにローン移籍。復活。今季は大丈夫、と本人(「ニュー・チッチオはだいじょおぶぅ」と見るものを脱力させる強烈な所信表明インタビューを出した)。昨季はFKで失敗するたび泣きそうな顔をしてファンを不安にさせていたが今季その癖は改めたらしい。のびやかなフォームで蹴るのだが(のけぞり蹴り)そのあとシリモチをつく。こんな彼のために地元サポーターは「Grabbi Grabbi」(内容、曲は不明)というChantを作って歌ってあげている。本人もこのChantが大好き。
03/04シーズン開幕2戦目のBolton戦で追加時間の同点弾アシスト。インタビューでは1年前の倍速で英語を話していた!
高額の移籍金がネックになり、移籍もままならなかった。が、クラブ側が移籍金を断念。契約期間内でのフリー放出に踏み切った。(移籍金と給料を合わせて計算すると1ゴールあたりのコストはおよそ£1.65m!)
Liverpool戦、CSKA Sofia戦(02/03シーズン)のゴールは忘れない!Genclerbiligi戦の後のあのコメントもきっと一生忘れない。イタリアでの活躍を心から祈る。

BRFC = 17.Jun.'01 - (£6.75m)

(33) Hakan Sukur 1.Sep.'71 /Turky
FW ハカン・シュクール 192cm /R

02W杯でのずっこけぶり&最速ゴールで日本では有名になってしまったが、トルコ蹴球界の生きる伝説。代表戦ゴール37はトルコ記録。Galatasaray所属時にはゴールしまくり「ボスポラスの雄牛」と異名をとる。蹴球界のみならず国民的人気も高く、彼の結婚式はトルコでは全国生中継された。(最初の奥さんは大地震で亡くしている)'00-01にセリエAのインテル、'01-02はパルマに所属。Sounessが'94-95にGalatasaryのマネージャー時に彼に惚れ込み、今回の移籍となった。またGreskoを推薦したのはSukur。移籍早々凍ったピッチで脛骨骨折。しかし並々ならぬ トレーニングをしていた模様(毎日腹筋500回、など)。毎朝トレーニングに現れる彼に「Hakanには笑顔がよく似合う」とSouness。
---トルコではあまりに人気が高く、ミスにもファンは文句を言わないらしい、そんなところから「日本で言うと長嶋茂雄、かな?」と聞いた。よってシゲオと勝手に命名。
契約は延長せずトルコに帰るそうだ。ホームシックともSounessとの不一致、とも言われている。
> Galatasarayに移籍

BRFC =

15 Youri Djorkaeff 3. Sep .'68 / French
FW ユーリ・ジョルカエフ 179cm / R

3ヶ月の短期契約でお助けにやってきた。MFとして知られているが、Roversではトップ下、どちらかといえばFWとして使うとボスは言う。そしてそれはどうやら機能しているようだ。
「Hughesに君の経験豊富さを活用したいんだ、といわれて嬉しかった、だから来た。(経験を)買われるのが今は一番嬉しいからね。(Bolton所属時から)住んでる場所を変える必要もないし、いい移籍だ。」

BRFC = 28. Sep.'04 (Free)
Monaco> Paris SG >Inter Milan > Kaiserslautern >Bolton >所属無し >BRFC

(36) Marc Richards -.-.-. /--
FW マーク・リチャーズ 18-cm /R

02/03Worthington-Cup,Walsall戦で最後のPKを決めたRichards。ローン移籍先のSwanseaを降格から救った。爽やかなカワイイ(カッコイイ)青年で彼がいなくなってしまうとReservesのビジュアル・アベレージが下がってしまう....。
>Northampton Townへ移籍

BRFC =

(15) Craig Hignett, Higgy 12.Jan.'70 / Whiston
FW クレイグ・ヒグネット 175cm / R?
**

ファーストチームからこぼれてしまいCoventruyにローン移籍。本人もクラブもハッピー。完全移籍か?と思われたが脚を怪我してしまい戻ってきた。12月のBolton-Leeds戦でラジオコメンテーター・デビュー。
骨折回復後、シーズン終了間際にファーストチーム復帰。最終戦vTHで「お見事!」なボレーでゴールを決める。おしゃべり上手でドレッシングルームのムードメーカーの一人。
>Leicester Cityに移籍

BRFC = 7.Oct.'00 - (£2.25m)
Barnsley <-Aberdeen <- M'Boro <-Crewe

22 Egil Ostenstad 2.Jan.'72 / Haugesund, Norway
FW エギル(エジル)・オシュテンスタッド 180cm / R
重厚なFW。最前線のDFのような人。 このプレイスタイルは彼の音楽的趣味に何か通じるものを感じる。(RoversのNorway御三家の音楽趣味は他の選手とちと違う。ナイスである。) シャツを外に垂らしたまま着こなす。
03/04>Rangers移籍。「CLに出たことないので、大きなチャンスだよ」と。

BRFC = 17.Aug.'00 (Swap)
So'ton <- Viking

9 Andrew "Andy" Cole 15.Oct.'71 / Nottingham
FW アンドリュウ"アンディ"・コール 178cm / R
ArsenalのTrainee出身。Man-U時代に超大量得点(在籍6年間に121ゴール)。
・Lancashire Evening Telegraphロングインタビュー

< Cole by Mahon

Fulham(Free) 18.Jul.'04<<BRFC = 29.Dec.'01 - (£8m)
Man-Utd. <- Newcastle <- Bristol-C <- Fulham(Loan) <-Arsenal(Trainee)

15 Dwight Yorke、Yorkie 3.Nov.'71 / Trinidad & Tobago
FW ドワイト・ヨーク 175cm / R
自宅(Manchester)のお隣さんはColeって噂はホント?
「どんな悲劇が降りかかろうともYorkieはあの笑顔だろう」とSouey。モットー(?)は「Lucky Go Happy」
Man-U在籍の4年間120試合に参戦し64得点を上げる!(頼む!Roversでももっとゴールを決めてくれっ!)
03/04(19)

BRFC = 26.Jul.'02 (£2m) >>Birmingham-C(31.Aug.'04)
Man Utd. <- A'Villa

27 Jay Bothroyd 7.May. '82 / Islington
FW ジェイ・ボスロイド 191cm / R

London北部、Islington生まれ。 Highburyの近所で育つ。物心つくかつかないかという頃からお父さんに連れられてArsenalの試合を見ていた。
小学校のとき、すでにクラスでトラブル・メーカー。学校でのことはさておき、それ以外の時間はすべてフットボールに費やす少年だった。
9歳でQPRにスカウト。13際の誕生日にIslington Boysで決勝戦を戦っていたとき、Arsenalのスカウトから「Arsenalに入りたいか?」と聞かれた。「小さな頃からずっとサポーターで、Highburyの角を曲がったところに住んでたんだよ。夢ってかなうんだね。」
Arsenal時代はFA Youth cupで決勝に進むなど非常に充実はしており、プレイは優秀だったが、相変わらずトラブルの元であったようである。 当時CoventryのマネージャーだったStrachanにスカウトされ移籍。 Arsenalではファーストチームでプレイできなかったが、Coventryではすぐにデビュー。「Strachanには非常に感謝している。彼がその後So'tonでなし得た事に非常に嬉しく思っている。」 '01年England U-21でプレイ。 「Coventryは本当に素晴らしいクラブでサポーターも素晴らしかった。僕は家も買って落ち着くつもりだった。」しかし、またしてもトラブルがもとで02/03シーズンのトップスコアラーであったにもかかわらず、FreeでPerugia移籍。

イタリアでの日々が良い修行になったと語るJay。
渡伊した直後は環境に馴染めずガールフレンドとの電話に救いを求め、一ヶ月£5000も電話代を費やしたと言う。※
イタリアデビューではハットトリックを決めた。 「(イタリアで)とにかく良いスタートを切らなくちゃいけなかったんだ。最初、僕は誰にも話しかける事ができなかった、そして誰も僕にボールすらくれなかった。マネージャーに聞いたら『これがイタリア式だよ。みんなに信用されないとね』って言われたんだ」
AC Milan戦1-1で終えた後Andriy Shevchenkoが「シャツをくれないか?」と言ってきた。そして翌日の新聞で「若く才能あふれる選手」と書かれ、認められて信頼を得た。 そしてSaadi Gaddafiとも友情を築いた。
しかしクリスマスに悪性のインフルエンザに罹り39度の熱で体重を4kgも減らした。シーズン最後の5試合には出たもののPerugiaの降格を止められなかった。
「僕は新聞に「Bad Boy」と書かれていた時より成長したと思う。」

「プレミアで再び自身の力を示せる機会を与えられて嬉しい。このチャンスを無駄 にしません。 この機会を与えてくれたSounessに感謝をしたい。新任のマネージャーMark Hughesと働く事を楽しみにしている。彼はプレイヤーの
圧倒的な指示を得ていて、Walesでの仕事で敬われている。僕はまだ若くて成長過程にあるので、彼のもとで学び、さらに成長したい。」
※ガールフレンドNickiとの間にはMaceという息子さんがいる。
1シーズンのローン移籍だが、シーズン終了時に完全移籍のオプション付き。

本契約に至る事無くローン先に丁重に返却。なんたってもうコワいコワい...側にいるだけで狂気を感じる。道でであったら絶対に目を合わせたくないタイプ。この選手の問題点はフットボールスキルではなく、その性格性質だと思われる。
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BRFC = 31.Aug.'04 (on loan from Perugia)
Arsenal>Coventry City>Perugia

17 Francis "Franny" Jeffers
25.Jan.'81/English
FW フランシス「フラニー」・ジェファーズ 178cm / R

++

Jul/'06(Free) << Charlton

9 Shabani Chris Nonda
6.Mar.'77/Congo
FW シャバニ・クリス・ノンダ 182cm / R

(on loan from Roma)

Jul/'06(l.2m) << Wigan


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